今でこそInstagramに日々のご飯を投稿したり、お料理をお教えしたりしていますが、
何を隠そう子供のころは偏食で小食、好き嫌いが多く、給食なんて修行のようでした。
昭和40~50年代に小学生だった方はおそらく給食は完食しなければ先生に怒られる時代だったと思います。私は、嫌いなものが出ると喉も通らず、いつも給食が終わっても完食するまで残されてずっと食べさせられていました。時には掃除中のほこりの中で...拷問です。
しかし、家ではなぜか食事が嫌だった、という思い出がないのです。
多分、救いだったのは、父や母が決して嫌いな食べ物や量が食べられない事を叱ったり、無理強いしなかったからだと思います。
父はいつも、私の箸の手が止まるころ「無理して食べなくていいんだよ」「ぜんぶ食べなくていいよ」と言ってくれて、私が残したものを代って食べてくれました。それは教育上、よくないのかもしれませんが。
でも、当時の私はその言葉にどれ程救われたかわかりません。
もし、家でも残さず食べろ、嫌いなものも食べろと言われていたら、きっと食べること
そのものを苦痛に感じてしまうようになっていたと思います。
カウンセリングで時々偏食や小食のお子さんの相談を受けることがあります。
お母さんが栄養不足を心配されていることはとてもよくわかります。
でも、厳しく言うばかりで、食べることが苦痛になってしまったら逆効果です。
お母さんが毎食、心配顔になっていませんか?
「これ体にいいのよ」「あなたのために作ったのよ」は多分そういうお子さんには負担です。
娘も幼稚園のころまで小食でした。この子はいったい何を栄養にして大きくなっているんだろうとよく思ったものです。
しかし、自分の経験から、好き嫌いや残すことを叱らないようにしてきました。
三歳の頃のクリスマスに、私の友人のお母さまが、娘に子供用包丁と泡だて器、お玉のセットをプレゼントしてくれました。
それがきっかけで、お料理のお手伝いをしてもらうようになり、時には皮むき器でケガもしましたが、小さいエプロンを着けて、踏み台に乗ったその頃の写真は楽しい思い出です。
食べること、栄養だけにこだわらず、一緒になってご飯を作ったり、それをお父さんやおじいちゃん、おばあちゃんに、時にはお友達に食べてもらって「おいしい」と喜んでもらう経験をしていくうちに、だんだん食べることに興味がでてくるのではないでしょうか。
ゆっくり焦らず、おなかがすくまでいっぱい遊ばせて、ごはんのお手伝いをしてもらう。
あとは、子供が使う食器は自分で選ばせるのも案外大事です。
とびきりお気に入りのお茶碗やお皿で食卓を演出する。
周りから攻めるのも効果ありですよ。
何しろあの当時の給食のアルミの食器は最悪です。私は今でもトラウマ(笑)
「どんぐりレストラン、開店でーす」
娘と三つ年上のお友達のお姉ちゃんが遊びに来た時、大人たちはお客さんになりました。
お料理が出てくるまでずいぶん待たされましたが、なかなかの出来栄えでした。
そして、気がつけば・・・小学校に上がった頃からなんでも食べるようになっていました。
当時のお茶碗は今でもありますが、「こんな小さいお茶碗のご飯がなんで食べられなかったんだろうねー」と笑っています。
栄養の前に、食事の時間を苦行にしないであげてください。
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